物語讃歌

物語について語ります。 Twitter:@monogatarisanka

詩 和歌 作品集

【五・七・五】

黄昏に

鳴くは烏の

親か子か

 

電線に

賽の目切りに

される空

 

花持ちて

駆け出す稚児の

行く先は

 

【五・七・五・七・七】

図書館の

白き花咲く

此の春も

その名も知らず

また過ぎにけり

 

路地裏に

一片舞うは

桜花

振り向き見れば

花あるめやも

 

学問の

狭き門より

通らんと

乗り込む列車

門より狭し

 

猪口に映ゆ

弓張月の幽玄を

分かつ友なき

濡れ縁と私

 

口すぼめ

落書きすなる

嬰児の

雀の雛の

如き愛しさ

 

ヤミ米

買わぬが人の

命なるか

堕ち得ぬ人の

業の悲しさ

 

朝顔

蕾の早く

咲かまほし

そぞろ歩くは

蟻の子らなり

【注】

特に季語などの制約については考えずに作っているので悪しからず

 

 

翻訳 歌詞 "Little Talks" by Of Monsters And Men

www.youtube.com

I don't like walking around this old and empty house.

この空っぽの家を歩くのは好きじゃないの

So hold my hand, I'll walk with you my dear.

なら手を握って 僕が一緒に歩くよ 愛しい人

The stairs creak as I sleep, It's keeping me awake.

階段がきしんで眠れないのよ

It's the house telling you to close your eyes.

それは家が寝かしつけようとしてるのさ

And some days I can't even trust myself.

時々もう自分が信じられなくなるわ

It's killing me to see you this way.

そんな君を見ているのはとても辛いよ

'Cause though the truth may vary. This ship will carry our bodies safe to shore.

たとえ真実が幾つあっても、この船は私たちの体を岸辺に運んでくれるんだ

 

There's an old voice in my head that's holding me back.

頭の中の昔の声が私を許してくれないの

Well tell her that I miss our little talks.

なら 彼女に世間話ができなくて残念だと言いなさい

Soon it will all be over, and buried with our past.

もうすぐこれも終わりになって 私たちの過去と一緒に埋められるのね

We used to play outside when we were young And full of life and full of love.

良く外で一緒に遊んだね 命と愛に満ち溢れて

Some days I don't know if I am wrong or right.

時々もう自分が正しいのかすらわからないの

Your mind is playing tricks on you my dear.

気の迷いに過ぎないよ 愛しい人

'Cause though the truth may vary. This ship will carry our bodies safe to shore.

たとえ真実が幾つあっても、この船は私たちの体を岸辺に運んでくれるんだ

 

Don't listen to a word I say.

私の言葉に耳を貸さないで

The screams all sound the same.

怒声に意味なんてないのよ

Though the truth may vary. This ship will carry our bodies safe to shore.

たとえ真実が幾つあっても、この船は私たちの体を岸辺に運んでくれるんだ

 

You're gone, gone, gone away,

貴方は遠くへ行ってしまった

I watched you disappear.

貴方が消えるのを見てしまった

All that's left is a ghost of you.

もうあなたの亡霊しか残っていない

Now we're torn, torn, torn apart,

私たちは引き裂かれて

there's nothing we can do,

もう出来る事はない

Just let me go, we'll meet again soon.

もう行かせて頂戴 すぐに会えるんだから

Now wait, wait, wait for me, please hang around.

どうか どうか僕のために待ってくれ

I'll see you when I fall asleep.

眠りにつけば会えるんだから

Don't listen to a word I say.

私の言葉に耳を貸さないで

The screams all sound the same

怒声に意味なんてないのよ

Though the truth may vary. This ship will carry our bodies safe to shore.

たとえ真実が幾つあっても、この船は私たちの体を岸辺に運んでくれるんだ

 

Hey!

Don't listen to a word I say.

私の言葉に耳を貸さないで

The screams all sound the same.

怒声に意味なんてないのよ

Though the truth may vary. This ship will carry our bodies safe to shore.

たとえ真実が幾つあっても、この船は私たちの体を岸辺に運んでくれるんだ

Though the truth may vary. This ship will carry our bodies safe to shore.

たとえ真実が幾つあっても、この船は私たちの体を岸辺に運んでくれるんだ

Though the truth may vary. This ship will carry our bodies safe to shore.

たとえ真実が幾つあっても、この船は私たちの体を岸辺に運んでくれるんだ

 

随筆 「キャラが立っている」とは何か? 「血と砂」「放浪」「けものフレンズ」「月がきれい」を例に

自分が先刻ツイートした事についてつらつらと考える内に、「キャラが立っている」という現象には二つの要素が関わっていることに気づいたのでここに記しておきたい。

結論から言うと、その二つとは「キャラクターの行動"原理"に一貫性がある事」そして「キャラクター同士の関係性が互いに類似していない事」である。順を追って説明しよう。

そもそも、「キャラが立っている」というのは比喩表現なわけだが、私たちはどのような作品を見たときに、物語の中で「キャラが立っている」と思うのだろうか。試みに、私が個人的にそのように思った物をいくつか挙げてみよう。

〈小説〉

血と砂」 ブラスコ・イバーニェス

「放浪」 織田作之助

〈最近のアニメ〉

③「けものフレンズ」 たつき

④「月がきれい」 岸誠二

先ほど挙げた「キャラクターの行動"原理"に一貫性がある事」の「原理」にクオーテーションをつけたのは、例え表面的な行動そのものが変化してもそれを以てしてキャラが立っていないと断ずる事はできないからである。

例えば「血と砂」の主人公である闘牛士ガリャルドの行動原理は「出世・社会階層の上昇」である。一番人気の闘牛士になった彼は、それに飽き足らず貴族のドニャ・ソールと姦通する。さらに、より高い階層へと自分をつなぎ留めておくために高級サロンなどへも出入りし始める。しかし唐突にドニャ・ソールが自分の前から去ったことをきっかけに彼の転落が始まる。自暴自棄になった彼は闘牛の最中に「引っ掛け」に遭うが一命を取り留める。もはや昔のような闘牛を出来なくなったガリャルドだが、一度上がった社会階層から転落することが受け入れられず、身を亡ぼす。現実と行動原理が矛盾したまま進行する事によって起こる悲劇である。

「放浪」の主人公、順平の行動原理は「無計画」である。大阪の親戚の料理屋の継子になった順平は、自分の子でない子を宿した義妹の美津子と結婚する、だが子供の死、兄の文吉の死をきっかけに順平は家を飛び出し放浪の旅に出る。親族から金をせびったり旅先の板場に潜り込んだりして日銭を稼ぐが、フグで人死にを出して逮捕、釈放されるもお金を川に落としてしまう。こんなあらすじを聞くと順平が耐えがたいキャラクターのように思えるかもしれないが彼の「考えのなさ」には一貫性があるので、何とも不思議な体験なのだが、その流れに読者も乗せられてしまう。つまり、行動の一貫性が全く欠けていても、その背後にある行動原理がしっかりしていれば良いわけだ。

けものフレンズ」の主人公「かばん」の行動原理は「自分は誰なのか定義する事」である。あまりに有名な作品なので細かいことは割愛するが、「自分の種を教えてもらう」事と、「出会ったフレンズたちを助ける」事によって自らがどのような存在であるかを定義づけることが物語の背骨になっている。

月がきれい」の主人公、小太郎の場合はもっとシンプルに「恋心・愛情」が行動原理に当たる。茜と恋仲になる前にも後にも小太郎は茜への「恋心・愛情」に基づいて一貫した行動をしている。近年のロマンスアニメでここまで視聴者が信頼を寄せられる主人公がいただろうかというほどの貫徹ぶりである。

このように、少なくとも物語の中心となる人物が一貫した行動原理を持っていないと、消費者は「キャラがぶれている」とか「作者が透けて見える」などの感想を持ってしまうことになる。ただし、消費者が登場人物の行動原理の変化を絶対に受け入れないかというとそうではない。何故ならいわゆる「キャラクターの変化・成長」は「行動原理の更新」の事を指すからである。先述のガリャルドは「行動原理の更新」に失敗して命を落とす。もしガリャルドが考えを変えて小さな荘園の経営に心を砕く人生にシフトしていたなら、彼の物語は全く別の筋道をたどることもできたはずだ。

だが、行動原理だけが「キャラが立つ」現象のファクターではない。「キャラクター同士の関係性が互いに類似していない事」も重要である。先述した作品の中では、それぞれの登場人物が取り結んでいる関係はすべてが異なっている。だが、あまりにも煩雑になるのですべての作品について述べることはしない。実際に作品を鑑賞して考えて頂くのが一番なのだが、ここではおそらく読者諸君にもなじみが深いであろう「けものフレンズ」から例をとる。さて、これらの道中にセットで登場するキャラクター同士の関係性はどのような違いがあるだろうか?

アルパカ  トキ

ビーバー  プレーリードッグ

ライオン  ヘラジカ

ギンギツネ  キタキツネ

ヒグマ  キンシコウ - リカオン - (ヒグマ)

それぞれの線がキャラクター同士の関係性を表しているのだが、それぞれが取り結んでいる関係は互いに異なっている。ではそれがどのように異なっているかとなるとまた難しい質問なのだが、大切なのはダブりがあると消費者に感じさせないという点である。どれほどまでに一貫性のあるキャラクターを用意しても、キャラクター同士の関係に差異を出すことができなければ、物語にダイナミクスが生まれ辛くなり、なおかつたとえそうでなくても似たようなキャラクターをコピペしただけのような印象を与えてしまいかねない。

あまり十分な説明ではなかったかもしれないが、ある作品が何故面白いのか、あるいは何故面白くないのかを考える際に、

「キャラクターの行動"原理"に一貫性があるか?」

「キャラクター同士の関係性が互いに類似していないか?」

この二点を考えることが作品の分析に便利なのではないかと思ったので、ここに記しておく事とする。

随筆 坂口安吾について私の思う事

もし私が、「あなたの一番好きな作家は誰ですか?」と聞かれたならば、おそらく迷うことなく坂口安吾であると答えると思う。彼の作品の良さを一言で言い表すことはとても難しい作業なのだが、誤謬を恐れずにあえて定義するならば、彼の魅力は「人とその業への際限なき愛情」であるように思う。以下、彼の作品を通してそのことについて考えてみたい。

私が最初に読んだ彼の作品は「堕落論」であった。『半年のうちに世相は変った。醜の御楯といでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。』で始まる簡潔かつ美しい文体と印象的なエピソードで綴られる、私が最も読み返している随筆だ。彼はこの中で「堕ちる・堕落する」という表現を繰り返し使っているがそれはどのような意図で使われた言葉なのであろうか。これはあくまで私の見解であるが試みに読者の皆様と共有してみたいと思う。

私が思うに「堕落」とはつまり「既存の物語からの逸脱」である。私たちは生きてゆくために様々な物語に縋っている。安吾の時代であれば戦前は「神国日本」という物語が人々を導き、戦後には「平和的民主国家日本」という物語がその役割に当たるのだろう。これらの物語は互いに影響しあいながら(とはいえ、大きな物語がより小さな物語に影響することの方が多い)セフィロトの樹の如き階層性を持って私たちの生活の中に入り込んでくる。私たちはそれらの物語を駆使しながら「人間」である事を維持している。だが、それらの物語が剥奪される時、人間はどうなるのだろうか。安吾は東京の爆撃を『偉大な破壊』と呼び、その中にいた人々を『素直な運命の子供』と呼んでいる。この言葉の意味を捕らえてもらうには原文を読んでもらうしかないと思うのだが、私は『素直な運命の子供』とは「未来への見通しが全く立たず、それを立て直すこと放棄した人間の姿」であると解釈している。では、これが「堕落」なのだろうか。否。彼の語る堕落の姿とは、特攻崩れが闇屋になる事であり、未亡人が新たな恋に目覚める事である。つまり、物語が崩壊し、人々が既存の物語から逸脱する事を指すのだ。彼らは最早今まで彼らを支配し、抱擁してくれていた物語の中に戻ってゆくことはできない。しかし堕落した人間の強さとは新たな物語を作り出せる強さなのだと思う。

私が彼の小説を読んで想像するのは、彼は人一倍「人」に対して性根の優しい人間だっただろうという事だ。彼の小説に出てくる人々はどれも物語から逸脱した人間ばかりだ。「金銭無常」「戦争と一人の女」「青鬼の褌を洗う女」「桜の森の満開の下」「夜長姫と耳男」などに出てくる人間はどれも一般的な社会規範から逸脱している。だがすべての登場人物たちは自らの生を自らの生き方で生きている。最も強烈なキャラクターは「夜長姫と耳男」に出てくる夜長姫なのだが、彼女の生き様、その行動規範は全く狂人のそれでありながらある種の一貫性に貫かれている。私は安吾に「人とその業への際限なき愛情」が無ければそのような作品を書けはしないと思うのだ。

物語は真実ではありえない。規範は真実にはなりえない。安吾はそのことを見抜いていたのだと思う。だが、人が物語から自由になれないことも安吾はよく承知していた。『なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄のごとくでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる』からである。そして、私もその人間の一人だ。故に、私は坂口安吾の作品を愛して止まないのである。

翻訳 詩 "Who can stand" By William Blake

"Who can stand" By William Blake

 

O for a voice like thunder, and a tongue    
To drown the throat of war! When the senses    
Are shaken, and the soul is driven to madness,    
Who can stand? When the souls of the oppressèd    
Fight in the troubled air that rages, who can stand?            5
When the whirlwind of fury comes from the    
Throne of God, when the frowns of his countenance    
Drive the nations together, who can stand?    
When Sin claps his broad wings over the battle,    
And sails rejoicing in the flood of Death;            10
When souls are torn to everlasting fire,    
And fiends of Hell rejoice upon the slain,    
O who can stand? O who hath causèd this?    
O who can answer at the throne of God?    
The Kings and Nobles of the Land have done it!            15
Hear it not, Heaven, thy Ministers have done it!

 

日本語訳

"誰が耐えられよう?"  ウィリアム・ブレイク

 

おお 雷鳴の如き声と戦の喉を詰まらせる舌が私にあれば!

感覚が揺さぶられ 魂が狂気に追いやられる時

誰が耐えられよう?

抑圧された魂が怒り狂う大気の中で戦う時

誰が耐えられよう?

神の玉座から憤怒の旋風が吹き荒ぶ時

彼の方が眉を寄せ 国々が寄せ集められる時

誰が耐えられよう?

罪が戦いの上に羽ばたき死の海を歓喜して渡って行く時

引き裂かれた魂が永遠の炎に変わる時

そして地獄の悪霊が殺戮に歓喜する時

おお 誰が耐えられよう?

おお これは誰の為す所であるか?

おお 誰が神の玉座で申し開きを出来ようか?

これは地の国王と貴族たちの為す所である!

聞こえませんか、天よ、貴方の宰相たちの仕業で御座います!

 

**********************************

翻訳は英語サイトでのこの詩の解釈に関するディスカッションを参考に行った。

最後の"Hear it not"は通常なら「聞かないでください」と訳すがどうも意味がしっくりこないので意訳してしまったが許していただきたい。

この詩を基にした素晴らしい歌がLoreena McKennittのアルバムElementalに入っている。

youtu.be

引用 「菜根譚」

最近買った本の中に「菜根譚」があった、このところ漢詩漢籍に興味があるので手を伸ばしてみたが、なかなか良い警句集であったので最も気に入ったものを抜粋して紹介したい。なお、番号は岩波文庫版の第23刷に依った。

 

前集 一〇七

天地有万古、此身不再得。
人生只百年、此日最易過。
幸生其間者、不可不知有生之楽、亦不可不懐虚生之憂。

 

天地は万古有るも、此の身は再び得られず。
人生は只百年あるのみ、この日最も過ぎ易し。
幸いにしてその間に生まるる者は、有生の楽しみを知らざるべからず、また虚生の憂いを懐かざるべからず。

 

この警句の良いところは「此の身は再び得られず」と言っている所であると思う、後生を頼むにせよ、ペテロ翁の天国の鍵をあてにするにせよ、実存主義に傾倒するにせよ、「此身」が二度と起こる事のない現象であることは合意できるだろう。それ故に、この「最も過ぎ易」い命を生きるときに「有生の楽しみ」と「虚生の憂い」を忘れてはならないというわけだ。

余談になるが、私が漢籍、特に漢詩の好きな理由に、日本人からしてみるとあまりテーマ性や世界観に強い違和感を感じないという事があると思う。白居易の「長恨歌」なども楊貴妃が仙人として生まれ変わるなど、多分に中華圏の世界観を含んでいるが、物語のフォーカスはあくまでも玄宗皇帝と楊貴妃の強い愛であるので違和感なく読めてしまう。私が、例えば、ウィリアム・ブレイクの詩を読んで思うのは、キリスト教的な価値観が詩に強く反映されていると、日本人には感情移入が難しくなるのではないかという事だ。つまり、人間の生を詩にするときに、生命そのものを永遠、あるいは個々の生命にとっては永遠と同義なほど長く続く時間の中の儚い輝きと見るのか、あるいはすべての生命はある一つの帰着点に結び付けられていると考えるのかで、詩の方向性は大きく変わるのではないかと思う。私は西洋文学の中ではスペイン文学に大変興味があるのだが、その一番の理由はおそらく、スペイン文学のもつリアリズムと、様々な種類の人間への鋭い観察眼が、結果的に日本人の感性に合う物語を生み出しているからだろう。閑話休題

 

後集 六九

狐眠敗砌、兎走荒台、尽是当年歌舞之地。

露冷黄花、煙迷衰草、悉属旧時争戦之場。
盛衰何常、強弱安在。
念此令人心灰。

 

狐は敗砌に眠り、兎は荒台に走る、尽く是れ当年の歌舞の地なり。
露は黄花に冷やかに、煙は衰草に迷う、悉く旧時の争戦の場に属す。
盛衰何ぞ常あらん、強弱、安くにか在る。
此れを念えば、人心をして灰ならしむ。

 

この警句は「人心をして灰とならしむ」で締めくくっているが、個人的には自然の力強さを感じる独特ののどかさに満ちた一節だと思っている。

 

後集 七九

真空不空。
執相非真。
破相亦非真。
問、世尊如何発付。
在世出世、狗欲是苦、絶欲亦是苦。
聴、吾儕善自修持。

 

真空は空ならず。
相に執するは真に非ず。
相を破するも亦真に非ず。
問う、世尊は如何に発付するや。
「在世出世」と。欲に狗うも是れ苦、欲を絶つも亦是れ苦なり、我儕が善自ら修持するを聴け」。

 

私は仏教哲学に明るくないので詳しい「空」とは何かなどの話に立ち入るつもりはないが、「在世出世」、「世に在りながら世から出ている状態」、というのは不思議と惹かれる考え方だと思う。悟りを得るプロセスを表している「十牛図」などでも、最後の絵は「入鄽垂手」(悟りを得た人間が手を垂れて街へ入ってゆく)という実社会へ還元されてゆく悟りの姿を描いている事からも、少なからぬ人々に支持されていた考え方だったのだと思う。何よりも、資本主義社会の中において労働によって何らかの価値を生み出すか、金融システムというメタゲームで資本を増やすかして貨幣を稼がなければ生きてゆけない現代人が、隠者のごとく暮らそうとする事は、あまりにも大きな社会的対価を払うことになり、相当の覚悟がないと不可能な話で、現代人ならば「在世出世」、一人の具体的行動をする人間でありながら、自己や社会へのメタ的視点を忘れない姿勢という方がハードルが低いというのは事実だろう。

 

後集 一三一

波浪兼天、舟中不知懼、而舟外者寒心。
猖狂罵坐、席上不知警、而席外者咋舌。
故君子身雖在事中、心要超事外也。

 

波浪の天を兼ねるや、舟中、懼るるを知らず、而して舟外の者、心を寒くす。
猖狂の坐を罵るや、席上、警しむるを知らず、而して席外の者、舌を咋む。
故に君子は、身事中に在りと雖も、心は事外に越えんことを要するなり。

猖狂が「酔っぱらいの怒鳴り散らすさま」を表しているとわかれば、この警句は理解が簡単だろう。いわゆる「台風の目」というものがこれである。リーダーたるもの、当人でない人たちが肝を冷やしたり、苦々しく思ったりしていないか気を配ることも必要という、なんとも明代に書かれたとは思えない一節で印象に残ったのでこれをもって締めくくりとしたい。

菜根譚はほかにも含蓄に富んだ警句が多くあるので、機会があればぜひご一読いただければ幸いである。

 

 

詩 「今は昔」

 今は昔

 

今は昔 山に鬼あり
人食いて 日暮し
野山に駆けて 歌よめり
曰く
「花土より出で 土に帰す
何ぞ人の異ならむや」
とて
さて時の中将 これを聞きて
供を連れ山に分け入り
鬼の首を討ち取りたり
鬼の問うて曰く
「花土より出で 土に帰す
何ぞ鬼の異ならむや」
とて
中将返して曰く
「否」
鬼の首塚は後に道祖神になりしとぞ