物語讃歌

物語について語ります。 Twitter:@monogatarisanka

引用 「菜根譚」

最近買った本の中に「菜根譚」があった、このところ漢詩漢籍に興味があるので手を伸ばしてみたが、なかなか良い警句集であったので最も気に入ったものを抜粋して紹介したい。なお、番号は岩波文庫版の第23刷に依った。

 

前集 一〇七

天地有万古、此身不再得。
人生只百年、此日最易過。
幸生其間者、不可不知有生之楽、亦不可不懐虚生之憂。

 

天地は万古有るも、此の身は再び得られず。
人生は只百年あるのみ、この日最も過ぎ易し。
幸いにしてその間に生まるる者は、有生の楽しみを知らざるべからず、また虚生の憂いを懐かざるべからず。

 

この警句の良いところは「此の身は再び得られず」と言っている所であると思う、後生を頼むにせよ、ペテロ翁の天国の鍵をあてにするにせよ、実存主義に傾倒するにせよ、「此身」が二度と起こる事のない現象であることは合意できるだろう。それ故に、この「最も過ぎ易」い命を生きるときに「有生の楽しみ」と「虚生の憂い」を忘れてはならないというわけだ。

余談になるが、私が漢籍、特に漢詩の好きな理由に、日本人からしてみるとあまりテーマ性や世界観に強い違和感を感じないという事があると思う。白居易の「長恨歌」なども楊貴妃が仙人として生まれ変わるなど、多分に中華圏の世界観を含んでいるが、物語のフォーカスはあくまでも玄宗皇帝と楊貴妃の強い愛であるので違和感なく読めてしまう。私が、例えば、ウィリアム・ブレイクの詩を読んで思うのは、キリスト教的な価値観が詩に強く反映されていると、日本人には感情移入が難しくなるのではないかという事だ。つまり、人間の生を詩にするときに、生命そのものを永遠、あるいは個々の生命にとっては永遠と同義なほど長く続く時間の中の儚い輝きと見るのか、あるいはすべての生命はある一つの帰着点に結び付けられていると考えるのかで、詩の方向性は大きく変わるのではないかと思う。私は西洋文学の中ではスペイン文学に大変興味があるのだが、その一番の理由はおそらく、スペイン文学のもつリアリズムと、様々な種類の人間への鋭い観察眼が、結果的に日本人の感性に合う物語を生み出しているからだろう。閑話休題

 

後集 六九

狐眠敗砌、兎走荒台、尽是当年歌舞之地。

露冷黄花、煙迷衰草、悉属旧時争戦之場。
盛衰何常、強弱安在。
念此令人心灰。

 

狐は敗砌に眠り、兎は荒台に走る、尽く是れ当年の歌舞の地なり。
露は黄花に冷やかに、煙は衰草に迷う、悉く旧時の争戦の場に属す。
盛衰何ぞ常あらん、強弱、安くにか在る。
此れを念えば、人心をして灰ならしむ。

 

この警句は「人心をして灰とならしむ」で締めくくっているが、個人的には自然の力強さを感じる独特ののどかさに満ちた一節だと思っている。

 

後集 七九

真空不空。
執相非真。
破相亦非真。
問、世尊如何発付。
在世出世、狗欲是苦、絶欲亦是苦。
聴、吾儕善自修持。

 

真空は空ならず。
相に執するは真に非ず。
相を破するも亦真に非ず。
問う、世尊は如何に発付するや。
「在世出世」と。欲に狗うも是れ苦、欲を絶つも亦是れ苦なり、我儕が善自ら修持するを聴け」。

 

私は仏教哲学に明るくないので詳しい「空」とは何かなどの話に立ち入るつもりはないが、「在世出世」、「世に在りながら世から出ている状態」、というのは不思議と惹かれる考え方だと思う。悟りを得るプロセスを表している「十牛図」などでも、最後の絵は「入鄽垂手」(悟りを得た人間が手を垂れて街へ入ってゆく)という実社会へ還元されてゆく悟りの姿を描いている事からも、少なからぬ人々に支持されていた考え方だったのだと思う。何よりも、資本主義社会の中において労働によって何らかの価値を生み出すか、金融システムというメタゲームで資本を増やすかして貨幣を稼がなければ生きてゆけない現代人が、隠者のごとく暮らそうとする事は、あまりにも大きな社会的対価を払うことになり、相当の覚悟がないと不可能な話で、現代人ならば「在世出世」、一人の具体的行動をする人間でありながら、自己や社会へのメタ的視点を忘れない姿勢という方がハードルが低いというのは事実だろう。

 

後集 一三一

波浪兼天、舟中不知懼、而舟外者寒心。
猖狂罵坐、席上不知警、而席外者咋舌。
故君子身雖在事中、心要超事外也。

 

波浪の天を兼ねるや、舟中、懼るるを知らず、而して舟外の者、心を寒くす。
猖狂の坐を罵るや、席上、警しむるを知らず、而して席外の者、舌を咋む。
故に君子は、身事中に在りと雖も、心は事外に越えんことを要するなり。

猖狂が「酔っぱらいの怒鳴り散らすさま」を表しているとわかれば、この警句は理解が簡単だろう。いわゆる「台風の目」というものがこれである。リーダーたるもの、当人でない人たちが肝を冷やしたり、苦々しく思ったりしていないか気を配ることも必要という、なんとも明代に書かれたとは思えない一節で印象に残ったのでこれをもって締めくくりとしたい。

菜根譚はほかにも含蓄に富んだ警句が多くあるので、機会があればぜひご一読いただければ幸いである。